こんにちは、オタクとまでは呼べないアニメ大好きピュシカです。
劇場版チェンソーマン レゼ篇
観てきました!
圧倒的な映像美と、見事なタイミングで入る音楽の数々、そして散りばめられた伏線が、完璧すぎて、アニメというより芸術作品という感じでした。
この記事では私からの視点で、自由に語らせてもらっています。
注:ネタバレあります。

敵と知らずに惹かれてしまう
主人公のデンジはレゼという少女と出会います。それも多くの人が羨むような出会い方で。
ただの女の子として笑い合い、楽しいデートをします。
しかし後に、レゼはデンジの心臓を狙う“敵”だったことがわかります。
本来なら、憎むべき相手。
それでもデンジは、戦ったあとでさえ、
レゼに「一緒に逃げよう」と伝えます。
この瞬間にこそ、人間の心の深い“複雑さ”が表れています。
人の心は、好きか嫌いかのどちらか一方だけでは割り切れません。
その理由は、人間には “相反する感情の葛藤” が存在するからです。
チェンソーマンのデンジとレゼの関係は、
まさにその心理を端的に表していました。

好きと嫌いは、同時に存在する──葛藤
私たちの日常でも相反する感情の葛藤はよく起こっています。
• 大切にしてくれたけど、傷つけられた
• 信じたいけど、不安もある
など
これは恋愛に限らず、職場や家庭でも起きています。
• ここが嫌だけど、憎めない など
“白か黒か” ではなく、その間で揺れ続けるのが人の心。
デンジもまた、レゼの「人として好きだった部分」と「敵としての現実」の間を表現していました。
この揺らぎは、人として自然なことであり、
矛盾しているようでいて、実はとても誠実な反応です。
しかし、現実では渦中にいる本人には見えないことがある

ただ、この“揺れ”は、物語の外側から見るとすぐにわかりますが、実際にその中にいる本人には、ほとんど見えません。
現実は、
「ここは嫌いなんだけど離れられない」
「あの人を許すべきなのか分からない」
矛盾した気持ちが胸の中で混ざり合うと、
人は自分の感情の位置がわからなくなっていきます。
人の、こうした「まだ言葉になっていない揺らぎ」や「自分でも気づいていない心」は私はとても大切だと思っています。
クライアントが自分の気持ちを辿っていけるよう時間を共有する感覚です。心は、直線ではなく迷路のように入り組んでいます。でも、その迷いの中にこそ、その人の大切な本音が眠っているからです。
割り切れない心は、人である証

デンジはレゼを前に、一緒にこの先を歩むことを選んでいましたが、
私たちの心は、なかなかそうはならないのが現実です。ここにたどり着くまでに、たくさん考え、悩むことになります。
恋人なら、好きだけど不安が多い
職場なら、身体はしんどいけどやりがいがある
友人なら、嫌だけど縁を切れない
もしそういう相談を受けたら、「嫌ならやめたら?」「結局どうしたいの?」と言う人もいるのではないかと思います。もちろん、その視点も大切です。どちらが良い悪いということではありません。
でもこれは“人間の心の自然な動き” で、実は誰もが持っている迷いです。
割り切れない心と向き合うことは、
ときに苦しいのです。
その揺らぎこそが「その人らしさ」でもあり、
人生の選択を深いものにしていく力にもなると私は思っています。
この物語は、
直線的にだけ見てしまうと残らなくなるかもしれません。そんな“人の心の複雑さ”をそっと教えてくれていたと感じました。
そして、レゼの儚い人生を表現したようなエンディング曲で余韻を感じながら、人はなぜこのような儚さに魅了されるのか…と思いを馳せるのです。
あなたはどのように感じましたか?
【参考】・藤本タツキ『チェンソ-マン』5巻.6巻 (集英社)
・劇場版『チェンソ-マン レゼ篇』


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