亡くなる直前の猶予時間~last rally~その瞬間できること

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病気で療養して弱っている人が、急に起き上がり何かをし始めたり、ごはんを食べることもやっとだった人が、「からあげが食べたい」と言うなど、急に元気になったとういうことはありませんか。

このような現象をlast rally(ラストラリ-)といいます。

私は突然自宅で父の遺体を発見。そんな父が、亡くなる直前にいつもはできないような行動量に驚きました。

last rallyとは

いのちあるものに死期が近づくと、最期の回復が見られることがある。日本語では「中治り現象」「お迎え現象」ともいわれています。last rally直訳すると最後の回復。

これは、死期が近い人や動物に見られ、今まで弱っていたのに急に元気になったような状態になること。

仕事で介護の看取りなどをしていた時、圧倒的に多かったのは一時的に食欲が出ることでした。

今まで何も食べる気がしないと言っていた人も、急にからあげが食べたい、ケーキが食べたい、といって、買いに行くなんてことも。

・病院に連れて行って

今まで無理なことを言ったことのない人が、急に今日か明日、眼科に行きたいから連れていって!と言い出し、他の訪問があるので困ったことがあった。

今体調良くなさそうだから落ち着いてからはどうですか。と尋ねたがすぐに行きたいとのことだった。何とか時間を空けて一緒に行くことに。

帰り際、院内の食堂でおそばを一緒に食べたいなあ~と言いだし、次の訪問があるからごめんね、、、、と断った。

院内の売店にだけ車椅子で連れて行く。いつもは買わない大量のお菓子を買い込んでいました。

翌日容態が急変。救急車の中で、「ありがとね」と言われたことが昨日のことのよう。

そのまた翌日に旅立たれました。

・心臓が突然止まった日の午前

父は、亡くなった日の午前、温泉に自ら車を運転して出かけた。温泉からの帰りには、少し足を延ばし、いつもは行かないスーパ-に買い物へ。

もうこの時点で行動量が多い。いつもは温泉に入るだけで疲れていた。スーパ-では、8本入りの春巻きを購入。春巻きが食べたいと思えるほど調子が良かったと思われる。もちろんその他におでん等、数日間分の食料も購入していた。

春巻きは、その日製造のその日が消費期限だった。まさか自分がこの日に亡くなるとは思っていなかったのだろう。夜にでも食べようと思ったのか。お昼には食べず、昼はレトルトのカレ-ライスだった。

・今日入院しましょう

祖父は末期の大腸がんで自宅療養中でした。一日のうちの大半は寝ていた。その間に叔父の法事があり、お坊様がお経を読んでくださっている間も、隣でいびきとお経の大合唱だった。祖母はそれを見て大変御怒りのご様子。

その数日後、訪問診療の医師が入院しましょう!といった。祖父は突然目を開け元気に「ハイ!」と答える。

救急車が到着した。「立てますか?」の質問に、また元気に「ハイ!」と答え、いままで寝てばかりいたのが嘘のように、救急車までスタスタと足早に歩いて乗った。

ずいぶんと元気になったねえ~わたしより元気だわ。と祖母がいう。

last rallyは、最期の7日間ともいわれていますが、私の経験では3日間という印象が強い。

このように、死期の直前に見せる、急に元気になったかのような状態がlast rallyです。

last rallyは超常現象か

last rallyは、とても不思議な現象。しかし超常現象ではありません。人の死期が近づくと、体のあらゆる細胞が、最期の力を振り絞って、回復しようとします。人の自然治癒力は本人すらも調子が良いと感じてしまうほど。

中でも脳内ホルモンのドーパミン、セロトニン、オキシトシン、アドレナリンなどは、頑張ります。

ドーパミン、セロトニン、オキシトシンは幸せ三大ホルモン。

これらが自分の体の異変を察知して最大限に働いてくれているといわれている。

動物の場合

・犬が病気の時、ずっと食欲がありませんでした。獣医師からは、もう長くないといわれ、呼吸も大変そうでした。それから1週間後、突然ごはんをモリモリ食べた。まだ食べるの?食べたいだけ夕飯を食べた。満足そうにその夜は眠りにつく。そして明け方、呼吸が変わり病院へ。そのまま虹の橋を渡りました。

・猫のときは、調子が悪そうでしたが、ある日突然元気そうにニャーと声を出し、外に遊びにいきたがった。元気に外を走っている。そしてそのまま帰ってこない。

このように、last rallyは動物にもある。

人生最期の時にしてあげられること

ここまでは人生最期の時に、束の間の猶予時間があることをお伝えしました。そんな時に、周りの人がしてあげられることは何でしょう。

・言葉を伝える

やさしく、しっかりと、できれば感謝の言葉を伝えましょう。

last rallyも終わりを迎え、いよいよ動けなくなったとしても、耳は聞こえているといわれています。

実際、祖父が旅立つ直前、目は開かず、口は開いていたが、声をかけると指が少し動くなどの反応がありました。どの時間まで声が聞こえていたかは、定かではないが、最期の最期まで、私の声は聞こえていたようだった。

私が看取らせていただいた利用者様は、目は開ける力がなかったとしても、やはり耳は聞こえていた。私の声を聞いて、「来てくれたのかい?」と言っていました。

最期の瞬間は、見守っている側は、動揺していることも多いです。この瞬間は、時間の流れが本当に早い。だからこそ、時が過ぎ去る前に言葉を伝えましょう。

・手を握る

手は冷たいことが多い。手を握ってあげることで、たとえ目が開かなくても、ぬくもりや感覚が伝わります。安心はできないかもしれませんが、心はお互いに少し穏やかになります。

・そばにいて見守る

上記の手を握ることができなければ、できるだけそばにいて見守ってあげましょう。

目を瞑っている、ずっと寝ている、会話ができない状態だとしても、そばにいて見守ることが、これから旅立つ人にとっても、家族や周りの人にとっても、かけがえのない時間となります。

とはいえ、もし最期の瞬間にそばにいられなかったとしても、その瞬間にいないといけないということではありません。その瞬間だけが看取りということではありません。

そばで見守る時間が多少でもあったなら、それもまた、かけがえのない時間です。

それまでやってきた、全ての時間が大切。

人生最期にしてはいけないこと

今までも、目はもう開ける力がなかったとしても、耳は聞こえているとお伝えしました。

してはいけないことは、悪口を言う、葬儀の話しをすることなど

人生最期の時に、こんな話を聞くのは誰もが嫌なこと。もう意識がなさそうに見えても聞こえています。

まさか、そんなことは言わない。と思うかもしれませんが、その哀しみが抱えきれない人は、不思議と普段は言わないことをいってしまうもの。通常の心の状態ではいられないのです。

祖父が話もできなくなり、目も開かなくなった時、祖母は隣で「この人もう死ぬんだわ」と言いました。その現実を受け入れることが、きつかったのだと思います。正常な時は、言うはずのないことも、この瞬間は、自分の心を保つことが難しいことがあります。

知識として持つことで、心の準備が少しはできることでしょう。

おわりに

人生の最期は誰にも起こり、誰もが避けられません。

そしてどんなに心の準備をしたとしても、準備はしきれないのです。

どれほど介護をしても、身の回りのことをしても、要望を聞いたとしても、後悔の気持ちが

沸き上がることもあります。しかし最期の瞬間が、少しでも後悔を感じないで済むのなら、それに越したことはありません。

参考になれば何よりです。

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