こんにちは!オタクとは呼べないアニメ大好きピュシカです。
お正月に、久しぶりに『NARUTO』を最初から見返しました。
今あらためて観ると、以前は素通りしていたシーンが心にとまることがあります。
そのひとつが、木ノ葉の囚人である風神雷神兄弟の、ほんの短いやり取りでした。
雷神がふと、こんなことを言います。
「なんで小指っていうのは、短くて弱そうなんだ?」
それに対して風神は、
「そりゃ小指が太くて強そうなら、親指の立場ってもんがないだろ」
ただの無垢な兄弟と感じられるこの会話。今回はまた別な面が見えてきます。
これをフレーミング効果と言います。どんな物事にも、別な視点があると気づく一瞬です。
この会話には、私たちが日常で無意識にくり返している「比べる心」や「立場を守ろうとする感覚」が、映し出されています。
このやり取りを通して、なぜ人は比べなくてもいい場面で、つい誰かと比べてしまうのか。
なぜ「どちらが正しいか」「どちらが悪いか」という考え方に戻ってしまうのかを、この話しを手がかりに見ていきます。

なぜ、人は立場の話にこだわるのか
小指が短い理由と、親指の立場には、本来何の関係もありません。小指が太くなったからといって、親指の役割が消えるわけでもない。
それは、多くの人がきっと賛同するのではと思います。
それなのに風神は、「立場」という言葉を持ち出します。ここに、人の心の癖がとてもよく表れているように感じました。
私たちは、自分の価値や居場所を、そのままでは感じにくい生き物です。だから無意識のうちに、誰かと比べることで安心しようとします。
「あの人よりは上」「ここにいる自分には意味がある」
理屈では意味がないとわかっていても、そんな確認を、無意識に日常のあちこちで繰り返しています。

比べることで守っているもの?
比べることで守られているのは、強さではなく”不安”です。
風神の言葉は、一見すると強気です。でも心理的に見ると、その奥にあるのは“自信”というより“不安”です。
もし本当に親指の役割に揺るぎない安心があれば、小指がどうであれ、気にする必要はありません。
「立場がなくなるかもしれない」
そう感じているからこそ、比較が生まれ、言葉が強くなります。
これは現実の人間関係でも、よく見られることです。職場での立場、家庭での役割、年齢や経験といった肩書き。
それらが揺らぎそうになると、人はつい誰かを下に置くような言い方をしてしまうことがあります。

比べる関係が、どちらにも残すもの
比べられる側は、「小指」のような扱いを受けます。劣っているわけでも、間違っているわけでもないのに、なぜか小さく扱われてしまう感覚。
一方で、比べてしまう側もまた、楽ではありません。
立場を守り続けなければならない緊張感。
失えば価値がなくなるような怖さ。
どちらかが悪いという話ではなく、どちらも“安心できていない状態”なのだということです。
これを、どちらかが「悪い側」にしてしまうと、結局また、風神の言う「立場」の話に戻ってしまいます。

役割は、価値の順位なのか
親指と小指は、役割が違うだけです。
親指があるからこそ力が入り、小指があるからこそ細かな動きができる。
どちらが欠けても、手はうまく機能しません。
人も同じです。
役割や立場は、価値の序列ではなく、その人がそこにいる「形の違い」にすぎません。
比べたくなったとき、誰かを下に置きたくなったとき、
その奥で、守りたいものは何でしょう?

何気ない一言に、心は出る
風神雷神の会話は、このアニメでは重要なシーンではありません。
でも、だからこそ、私たちの日常によく似ています。何気ない一言、軽い冗談、つい出てしまう比較。そこに、自分の不安や安心のありかが映っていることがあります。
小指は小指のままで、重要な手の一部です。立場を守らなくても、比べなくても、そこにあっていい。
そんなことを、あの短いやり取りから感じます。
あなたなら、この会話をどう感じるでしょうか。


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