あなたは、特別に何もなかった1日をどのくらい覚えていますか?
朝、起きる。
食事をする。
仕事へ行く。
家に帰る。
お風呂に入って、眠る。
そんな一日を、私たちは特別なものとは思わずに過ごしています。
けれど、もし突然、その「いつものこと」がなくなったら…。
今まで好きなときに出かけられたこと。
一緒に過ごしていた人がいたこと。
何気なく過ごせる時間があったこと。
そのときになって初めて、「あのときは、良かったな」と思うことがあります。
健康も、時間も、人とのつながりも。
失ってから初めて、その存在の大きさに気づくものは、意外とたくさんあります。
では、なぜ私たちは、それを持っている間には気づきにくいのでしょうか。

「ないもの」ばかりが目につくのはなぜ?
私たちは、自分にないものには気づきやすいものです。
もっとお金があれば。
もっと時間があれば。
もっと仕事がうまくいけば。
もっと誰かに認められれば。
このように、足りないものに目を向けていると、今あるものは意識から外れていきます。
自分で動けることも。
誰かと話せることも。
今日という時間があることも。
それらは、失ったときには大きなものに感じるのに、あるときには「普通」でしかありません。
なぜなら、毎日続いているものほど、私たちはそれに慣れてしまうからです。
心理学では、同じ刺激が繰り返されることで、次第に反応が弱くなっていくことを「馴化(じゅんか)」といいます。
たとえば、健康なときに、「今日は健康というものを持っている」とは、ほとんど考えません。
問題なく歩けることも、自分で食事ができることも、眠れることも、あまりに当たり前だと思っているからです。
これは健康に限ったことではありません。
毎日続いているものほど、私たちはそれを「持っている」と認識しなくなっていきます。
だから、何かがなくなったとき、「こんなに大切なものだったんだ」と初めて気づくことがあります。
こんにちは、公認心理師のピュシカです。
「自分には何もない」と感じるとき、本当に何もないとは限りません。
今回は、私たちが「持っているもの」に気づきにくい理由と、失って初めて見えてくるものについて考えるきっかけになれば…と思います。

「持っているもの」にも目を向けると、見える景色が変わる
「ないもの」だけを探すと、今あるものが見えなくなる
「もっと○○があれば」と考えること自体は、決して悪いことではありません。
もっと良くしたい。
もっと変わりたい。
そう思うことが、前に進む力になることもあります。
ただ、「ないもの」ばかりを見ていると、すでに自分の手元にあるものまで見えなくなることがあります。
たとえば、仕事で評価されないことばかりを考えていたとします。
そのときには、「自分は何もできてない」と感じるかもしれません。
でも、その仕事を続けられる健康がある。
毎日通える身体がある。
仕事について考えられる時間がある。
話を聞いてくれる人がいる。
自分で選択できることがある。
実は、自分では気づいていないだけで、できていることもあります。
そんなふうに見ていくと、これまで意識していなかったものにも、気づくことがあります。
もちろん、それで不満や悩みがなくなるわけではありません。
失ったものや、欲しいものがあることも事実です。
だからこそ、「ないもの」と「あるもの」の両方を見ることが大切です。

失って初めて見えるものがある
失うという経験は、とてもつらいものです。
けれど、失ったことで初めて、「自分は、これを持っていたんだ」と気づくことがあります。
健康を失ってはじめて、当たり前ではなかったことに気づく。
仕事を失って、毎月収入があることに気づく。
環境が変わって、以前の人間関係のありがたさに気づく。
子どもが成長して、以前は当たり前だった一緒の時間が特別だったと気づく。
そのときになって初めて、それまで当たり前だと思っていたものの価値に気づくことがあります。

「数えていない」だけ
私たちは、自分が持っているものを、毎日一つひとつ数えているわけではありません。
それよりも、「これが足りない」「これがうまくいかない」「これが手に入らない」ということのほうが、強く印象に残ることがあります。
心理学では、ネガティブな情報のほうが、ポジティブな情報よりも強く捉えられやすい傾向を、ネガティビティ・バイアスといいます。
たとえば、楽しみにしていた休日に、予定していたことができなかったとします。
ゆっくり過ごす時間はあった。
好きなものを食べることもできた。
それでも、「せっかくの休みなのに、何もできなかった」と、そのできなかったことばかりが頭に残ってしまうことがあります。
ここには、物事を「ある・ない」の二つに分けて捉えてしまう、全か無かの思考が入り込むこともあります。
一つうまくいかなかっただけなのに、「だから、今日は何もできなかった」と、一日のすべてを「ない」側に置いてしまうのです。
私たちの日常にも、こうした「あるもの」がたくさんあります。
時間。
人とのつながり。
自由に動けること。
安心して眠れる場所。
自分で決められること。
これまで積み重ねてきた経験。
そうしたものがあっても、「ないもの」に意識が向いていると、それらの存在を意識しなくなることがあります。
だから、「何もない」という感覚と、「本当に何もない」という現実は、必ずしも同じではありません。
足りないものがある。
失ったものがある。
うまくいかないことがある。
それは事実かもしれません。
それでも、「何もない」のではなく、持っているものを数えていないだけなのかもしれません。
そして何より、当たり前に過ごしている今日が、誰かにとっては願っていた一日かもしれません。

「何もない」と思ったときこそ、少し深く考える時間
本当は何がつらいのか。
何が足りないと感じているのか。
そして、自分でも気づかないうちに、何を求めているのか。
考えているつもりでも、同じところをぐるぐるしてしまうこともあります。
そんなときは、誰かに話してみることで、自分では見えていなかったものが、少しずつ見えてくることがあります。
「自分には何もない」と思っていたのに、話していくうちに、「本当は、こういうことを求めていたのかもしれない」「自分が失ったと思っていたのは、これだったのかもしれない」と、自分でも気づいていなかった思いが見えてきます。
カウンセリングは、ただ気持ちを聞いてもらうだけの時間ではありません。
今の自分が何を感じ、何を求め、何に引っかかっているのか。
その奥にあるものまで、一緒にたどっていくことができます。
「自分には何もない」そう思い込んでいるときこそ、少し深く自分を見ていくことで、今まで気づかなかったものが見えてくるかもしれません。
今まで気づかなかった自分の想いを、一緒にたどってみませんか。
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